ご挨拶
当社は、栃木県宇都宮市にて肥料商に勤めていた創業者:福田與吉が独立を決意し、東日本各地を回り創業の地を見定める中、1886年(明治19年)2月宮城県仙台市名掛丁(現在の仙台市青葉区中央1丁目)で米穀肥料商を起したことが事業の始まりです。
明治25年4月に仙台市南小泉(現在の若林区南小泉)に精米・精麦工場を建設(水力)し事業を拡大するとともに、明治43年1月には仙台市東七番丁(現在の若林区新寺一丁目)に精米・精麦工場を移転し、電動力により近代化を図りました。また、当時いち早く外国産米の取り扱いも行い「外米屋」とも呼ばれていたようです。大正4年7月には、化学肥料の発売を機に多木化学(株)、電気化学工業(株)(現 デンカ株式会社)、住友化学(株)の特約店になりました。
大正6年4月、出身地である宇都宮市で大谷石の採掘販売を開始。ここで採掘された大谷石は旧帝国ホテルにも使用され、その名残りは現明治村に一部が移築されて残っております。但し、この採掘販売は昭和に入り第二次大戦の中、零式戦闘機で有名な中島飛行機の移転に伴う強制収用にかかり事業から撤退しました。
大正8年5月には個人経営を株式会社に改組するとともに(資本金50万円)、本店を栃木県宇都宮市西一丁目に、支店を宮城県仙台市名掛丁(現在の青葉区中央一丁目)に開設。
昭和6年1月セメントの取扱いを開始。昭和8年11月に本店を仙台市名掛丁(現在の青葉区中央一丁目)に変更したものの、昭和20年8月の仙台空襲により焼失した為、精米・精麦加工工場である仙台市東七番丁(現在の若林区新寺一丁目)に営業拠点を移すこととなりました。
戦後、昭和25年4月の飼料公団の解散に伴い飼料の自由販売を開始し、昭和25年8月には肥料公団の解散に伴い、肥料の自由販売を開始。昭和40年になると電気化学工業株式会社(現デンカ(株))の製品である特殊混和材の取扱いを開始、昭和46年12月には三菱鉱業セメント株式会社(現:UBE 三菱セメント(株))の特約店となりました。
昭和55年4月に仙台市東部工業団地内(若林区卸町東五丁目)に精米・精麦加工工場、並びに倉庫を新設移転するとともに、第一テナントビルである「福田ビル」(青葉区一番町一丁目)を建設。昭和61年11月に株式会社福田商会の販売部門を継承すると共に米雑穀の集荷販売や建設業者資格取得を目的としてフクダ物産株式会社を設立しました。
その後、仙台駅東口の精米・精麦加工工場跡地を利用し、大型自走式駐車場(収容台数312台)の福田パーキングビル(若林区新寺一丁目)、第二テナントビル「NORTHPIA(ノースピア)」を建設し、不動産事業を本格化し企業基盤を構築させ、平成12年からは全世界で展開している外資系ホテル・ブランドのホテルのホリデイ・イン仙台(現:ANAホリデイ・イン仙台(若林区新寺一丁目))を開業致しました。
こうした形で、卸売業・精穀精麦業をメインとしながら、御取引先様や地域が抱えられている課題やニーズにお応えする形で業態の多角化を図り、仙台・宮城・東北の発展の為に尽力して参りました。創業から130年を超える歴史の中で、前述のとおり戦時中統制による業務縮小や本店焼失、東日本大震災による各種滅失などの厳しいこともありましたが、多方面に長年に渡る関係を頂戴している皆様方との「絆」という財産を築かせて頂きました。
そして、令和の時代となり、改めて当社グループとして微力ながらも地域に対して恩返しをしていきたいと考え、新規事業アクアイグニス事業を展開させて頂く事となりました。特にアクアイグニス仙台は、仙台市沿岸部における「仙台市集団移転跡地利活用事業」として、東日本大震災で一度は失われた沿岸部の賑わいを取り戻す取組みです。これまで当社が培ってきた地元生産者の方々とのネットワークを活かし、国内外で名を馳せる著名なシェフとの連携によって、地元の旬で多彩な食材を活かしたお料理を多くのお客様に提供することで地域の活性化に取り組んで参ります。
グローバル化が進み環境の変化が早まるこの時代ですが、全社一丸となって新たな挑戦に取り組み、皆様方に求められる企業として更なるステップアップを図り豊かな社会の実現に貢献して参ります。今後とも株式会社福田商会に変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
株式会社福田商会
代表取締役 福田喬